夜のお散歩
事務所の移転が決まり、せっせと新事務所に荷物を搬入している頃の出来事だ。
私がこの物件を借りる前は、入居者はいたようだがシャッターがずっと降りたままだったという。煌々と明かりをつけて搬入作業をしていると、道行く人たちが興味ぶかそうにこちらを見ながら通り過ぎてゆく。隣が可愛いケーキ屋さんなので、何か新しいお店ができるのかという期待感なのだろう。ただの平凡な事務所なのに期待させて申し訳ないなぁ。そんな気持ちになった。
ある日の夜、事務所の本棚の整理を終えて休憩していると、可愛いトートバックを肩にかけた老夫婦が笑顔で声をかけてきた。
「ここは本屋さんになるの?」
事務所兼倉庫になることを伝えると、
「こんなに本があるんだから本屋さんもやったらいいじゃない」
と言って、二人は笑顔で手を振りながら去っていった。
こんなふうに道行く人とお話できるなんて、新しい事務所も自分も、なんだか街に受け入れられたようで嬉しかった。
その後も、可愛いトートバックを肩にかけたこの老夫婦が、事務所の前を散歩しているのをよく見かけるようになった。いつか本当に本屋になったら、1番目のお客さんになってもらおうと勝手に決めている。あの時の言葉がきっかけだと伝えたら驚くだろうな。そんなことを空想するだけで楽しい気持ちになるのだ。