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若山恵里 | じりじりと

若山恵里 | じりじりと

沖縄の村むらに古くから守り神として鎮座している「石獅子」。琉球石灰岩を手彫りしたそれは「村落獅子」とも呼ばれ、住宅の屋根や門柱に設置されているシーサーのルーツではないかと言われている。

 

 

 そんな石獅子に魅せられた夫婦がいる。那覇市首里汀良町にある工房「スタジオde-jin」の若山大地さんと若山恵里さんである。夫の大地さんは村落獅子をモチーフにしたオリジナルの石獅子を彫って展示会やお土産品店などで販売し、3歳年下の恵里さんはスタジオの事務をしつつ、沖縄本島南部を中心に約130体ほどあるという村落獅子を長年にわたり調査、記録している。

 

 

 「でも私は最初、石獅子って、ぜんぜんピンと来てなかったんですよ」と恵里さんは言う。「こういうものが好きな人もいるのか、不思議だ」と。しかし今では石獅子を巡り続ける探訪は、彼女のライフワークとなっている。なぜだろうか。

 恵里さんと大地さんは沖縄県立芸術大学彫刻専攻の後輩と先輩として知り合い、「大学3年のときはもう一緒に住んでいました」という。名古屋出身の大地さんは母親が沖縄出身ということもあり、大好きな沖縄に住むことが進学の大きな目的だった。恵里さんは滋賀県出身。母親が絵を描き、二人の兄は美大に行くという環境で育ち、自身も高校の美術科で彫刻と出会った。沖縄には進学を機に初めてやってきて、「作家として彫刻さえできればいいと思っていました。沖縄のイメージは白砂、赤瓦の島みたいな感じだったのに、来てみたら那覇が都会なのでびっくりしました」という。大学では、テラコッタ(素焼きで仕上げる彫刻)中心に作品づくりをした。テーマは「輪廻転生のようなもの」。もとあったものが無くなって、それが浄化してまた表れてくるというコンセプトの抽象的な作品が多かった。

 最初に村落獅子と出会ったのは大地さんである。卒業後、作品制作の方向性を模索して「作品か商品か」という狭間で悩んでいた。そんな時、大学の友人に連れられて見たのが、那覇市上間の石獅子「カンクウカンクウ」である。自然石の造形を活かした圧倒的な存在感に衝撃を受けた。そして直感的に「これなら琉球石灰岩で暮らしていけるかも」と、独自の石獅子制作を決心する。

 

 

 そのころ恵里さんは長男を出産して子育て真っ最中で、石獅子への関心はほぼなかった。子どものおむつが取れて立てるようになったころから、大地さんに連れられるようにして沖縄各地にある石獅子を探すようになる。

 「夫婦で別々の仕事をしていて、私は普通に会社に勤めてリサーチの仕事をしていたんです。そして週末になると家族みんなで石獅子を探すという日々。でも次第にゲーム感覚で、全部探してみようという気持ちになってきて」

 そして一家は沖縄本島を一廻りする。恵里さんはそこでようやく「この石獅子たちは、なんでここに置いてあるんだろう、なんでこの向きなんだろう」というところに関心が向くようになった。集落の人たちとの繋がりや石獅子の歴史を知れば知るほど、どんどん興味が湧いてきた。

 

 

 そのうち、いつしか一人で石獅子を探訪するようになった。場所を特定して出向いていって、探しだしたらメジャーで測定し、形状から動物にたとえて独自の分類をする。「地元の方に声をかけていくと、興味深い話がいろいろ聞けるんです。言い伝えとか、ほかの集落で聞いた歴史とピシッと繋がったりして、楽しくなった」。石獅子の魅力にはまって、気がつけば石獅子巡りの日々は16年を数えるようになった。

 スタジオde-jin制作の石獅子展示会をする際に、まだまだ一般的には認知度の低い村落獅子のことを説明するために、恵里さんは調べたことを資料ファイルにまとめた。簡単な冊子にして配布したこともある。それがきっかけで2015年に石獅子探訪にまつわる連載を地元紙のタブロイド版で持つことになった。最初は1年だけの予定だったが、手書きの地図、独特のユーモアをまぶした文体が評判となり結局7年間続いた。連載は2022年、『石獅子探訪記』として書籍化も果たしている。

 

 工房を二人三脚で運営しているわけではなく、それぞれ独自の活動をしているという感覚だ。恵里さんは、大地さんの石獅子制作には基本的には携わらない。「二人でやるとぜったい衝突するから」という。ほかの仕事もしていることがいい距離感になっている。

 

 

 それでは、表現者としてはどうだろうか。「ずっと作品は作りたいと思っています。自分を表現するのは作品しかないから。表現への欲求はふくれるばかりで、ぜったいにしぼまないです。でも焦ってもしょうがない。子どものおむつがとれる時期って、子どもによって違うじゃないですか。でもその時がくれば、おむつはとれるんですよ。私もその時がくれば表現できるって思っているんです。もちろん時間は作るものだと思っています。今はあせらずに、じりじりと時を待っているんです」

 そして「いま、遊んでます」と言った。琉球石灰岩の可能性を探る新しい表現として、琉球石灰岩を板状に薄く切って貼り、建物や動物などを表現するやり方を模索しているのだという。「このやり方はなんて言うのかまだ決めてないけど……ペタリングとか? 作ってぺたぺた貼るから」

 

 たくらむ恵里さんの笑い声に、隣の部屋で今日も石獅子制作をしている大地さんのガツンガツンという石彫りの音が重なった。

 

A:My Favourite(わたしのお気に入り)

 自分の歯です。石獅子をいつも見ているせいか硬く白いものには、えらく反応してしまいます。小さい頃から歯並びが悪く、自分でお金を稼げるようになったら矯正する夢をあたためていました。39歳で矯正を始め、日に日に歯が動いていく口内の生命力にすこぶる感動しました。その頃から他人の口内をたくさん見てみたいという変態チックな願望が芽生えはじめ、通っている歯医者さんに歯科技工士になりたいと相談をしたりもしました。 

 

B:My Worktools(わたしの仕事道具)

 義理の父からいただいた万年筆です。たぶん退職祝いでもらったものをくれたのだと思います。以前から万年筆でイラストを書いてみたいと思っていて、種類もたくさんあり価格もピンキリで迷っていた最中、お義父さんに「恵里ちゃんこれ要る?」と聞かれ、わ!!なんてタイミング!と心臓からドックン!という音がしたのを覚えています。絵を描くときもサインをするときも、この万年筆を使用しています。私のポテンシャルを倍にしてくれる、なくてはならないものです。ばっちり、お義父さんの名前入りですが……。

 

C:My Backyard(わたしのバックヤード)

 余白恐怖症で、絵も文字も空間を開けることがなかなかできません。構図的にはこれが必ず万人受けするということがわかっていても、隙間を埋めなければ気が済みません。これは死んだ父が「時は金なり」と言っていたことが背景にあると勝手に思い込んでいます。仕事もめいっぱい詰め込んでしまいます。ありがたいことにいろいろな仕事をいただいており、どの仕事も楽しくて、ハッキリ言って趣味は仕事です。やりたいことが多すぎて、仕事がストレスというより、仕事ができなくてストレスが溜まります。主人は仕事するときは仕事をする、遊ぶときは遊ぶことができる人なので、今は影響を受けていい塩梅で過ごせているような気もします。気がするだけかも。

 

 

若山恵里(わかやま えり)スタジオde-jin。1979年生まれ。2006年沖縄県立芸術大学彫刻専攻研究生修了。2009年から村落獅子を調べる。2016年、琉球新報「かふう」にて「石獅子探訪記」の連載がスタート。2022年には連載をまとめた『石獅子探訪記』を出版。

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芸大助教
大城愛香 | つい落書き

大城愛香 | つい落書き

大城愛香(おおしろ あいか) 沖縄県生まれ。沖縄県立芸術大学大学院を修了。2024年現在、同大学の助教として勤務。沖縄の海や森、そこに生息する生き物の魅力を、アニメーションやイラストを通して子ども達に向けて(むかし子どもだった大人にも!)わかりやすく伝えることを目標に制作活動を続けている。絵本に『サンゴってなぁに?』『お魚がいなくなっちゃった!』『しぜんのつながり のぞいてみよう』(いずれも...

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