宇田智子 | 本を差別しない
午前10時半、宇田智子さんは、いつものようにシャッターを上げて、移動式の本棚を設置し、開店の準備を始めた。「市場の古本屋ウララ」は、那覇市牧志第一公設市場の東口に面した市場中央通りにある。小さな店がずらりと並ぶ水上店舗の一画で、その間口の狭さから「日本一狭い古本屋」として知られるようになった。開店から13年が経ち、いまは隣の小間も借りて4.5坪ほどの広さになったので、「もう日本一ではないとは思います」と宇田さんはいう。
午前ののんびりした雰囲気のなか、小さな机と椅子があるだけの帳場に座り、お客さんが立ち寄るのを静かに待つ。「この時間帯は意外とよく売れるんですよ。その日帰る観光客が最後に立ち寄ったりしますね」と淡々と話す。「人の顔をまじまじと見つめてしまう癖があるんです。小さい頃から。どうしても直らないですね、今も」
宇田さんは神奈川県生まれ。本を読むのは小さい頃から好きだった。東京大学文学部を卒業後、ジュンク堂書店に入社、池袋本店で人文書を担当するようになったのが2002年のことだ。日本で一番大きな書店での仕事にはやりがいがあり、出版社の人と本の話ができるのも楽しかった。
入社3年目で出会ったのが「沖縄県産本」である。ジュンク堂池袋本店で定期的に行われていたフェアのひとつに「沖縄県産本フェア」があった。沖縄から届けられた段ボール箱を開けると、普段はなかなか見ないような本、どこか雰囲気が違った本が続々と出てくるのに驚いた。「それまで沖縄には一度も行ったことはなかったんです。こんなに地元にこだわって、いろんな種類があるなんて。圧倒されました」
転機は2009年。ジュンク堂が沖縄・那覇市に新しく出店すると聞き、みずから異動の手を挙げた。それまでは東京からどこにも動きたくはなかったのに、沖縄県産本を地元の書店として扱ってみたいと思った。念願が叶い宇田さんは那覇店で沖縄本の担当になる。東京との違いに戸惑うことも多かったが、「沖縄に来たら表情が柔らかくなったといろんな人に言われるようになりました、これでも。東京ではよっぽど堅くなっていたんでしょうね」という。
そして2年後、宇田さんはジュンク堂書店を辞める。通勤途中にある市場中央通りの小さな古本屋が借り手を探していた。「これだったんだ」と、店を引きつぐかたちで新しい本屋を始めることにした。大きな決断だ。それが「市場の古本屋ウララ」である。まさか自分ひとりで古本屋さんをやるなんて、夢にも思っていなかった。
新刊書店と古本屋ではやることがぜんぜん違う。店を始めたころは、朝の準備が終わると何をしていいのか分からなかった。両隣は、漬物屋と洋服屋。孫娘みたいな歳の宇田さんは、周りの店主たちから市場の作法をいろいろ教えてもらった。店主たちは座ったまま、自宅で暮らしているかのように過ごして、じっとお客さんを待っている。「店番しながら本をたくさん読めるかと思っていましたが、そんなことはなかったですね」という。
店を商うにあたっては「本を差別しないこと」を心がけた。棚に本を並べるときも、自分の好きな本を並べていると思われたくない、という。「間口が狭いから何でも置けるわけではない、だからこそお客さんに決めてほしいんです」
客との会話や道すがらで聞こえたつぶやき、店主同士のここだけの話などを店のブログに書きとめるようになった。店を始めて2年後、開業までの顛末をまとめた『那覇の市場で古本屋』を沖縄の版元から刊行した。書く仕事をするとは思っていなかったが、「一生に一度は本を出すのが夢だった。県産本にあこがれてやってきた沖縄でその夢が叶うなんて、すごいじゃないですか」という。その後も宇田さんへはエッセイの依頼が続き、東京の出版社から2冊の本を出し、台湾、韓国でも翻訳された。
以前は「先のことは分からない」が口癖だったという。店を始めるときもいつまで続くのか考えることなくはじめた。この数年は、コロナ禍に公設市場の建て替えなど、周りの環境が大きく変わっていき、市場で商売をしている当事者として何かしなければと思うようになった。
今は市場への新しいアーケードの設置に向けて日々尽力している。まちづくりに関する本を集め、特に世界各地のアーケードについて調べるようになった。これからの夢を聞くと「アーケードの本を書きたい」という。「誰が読みたいかは分からないけれど、私は読みたい。ちょっとずつ書いているんですよ、コツコツと」
50年後も店を続けているかもしれないと思えるのも、ここが市場だから。「みんなこれまで何とかなってきたから、何とかなるかもしれない。90歳で現役の人も市場にはいますから」
2024年、『那覇の市場で古本屋』から11年ぶりに沖縄県産本を刊行した。タイトルは『すこし広くなった』。人となりは変わってないけれど、なにか変わったのかもしれない。宇田智子さんはいま自身のことをそう感じている。
A:My Favourite(わたしのお気に入り)
朝、子どもを小学校に送って、店を開けるまでが自分の時間。読書もするけれど、最近はよくピアニカ(鍵盤ハーモニカ)を弾くようになったんです。ちょっといらいらした時に音楽が必要だと弾いてみたら落ち着いた。昔、南米の民族音楽のサークルにいたから、またみんなで合奏をしたいですね。
B:My Worktools(わたしの仕事道具)
仕事道具はそんなにないのですが、愛用しているのは「ブレン」というボールペンです。ペン先が細いんですよ。左利きだから、横書きする時にインクが出すぎると手がこすれてにじむのがストレスなんです。でもこれはちょうどいい感じで、私は筆圧が低いけれど、しっかり書けるから、何本も持っています。
C:My Backyard(わたしのバックヤード)
シェアサイクルを活用しています。自転車は子どものころからずっと持っていて、沖縄にも持ってきて通勤で使っていたんですが、盗まれちゃって10年近く乗っていませんでした。最近市内でよく見かけるようになったシェアサイクルを使ってみたら、けっこう使えるんですよ。どこにでも行けるし、片道だけでもいいし。電動アシスト付きだから、坂道もきつくないんです。いいもの使わせてもらっています。
宇田智子(うだ・ともこ)
1980年神奈川県生まれ。2002年にジュンク堂書店に入社し、池袋本店で人文書を担当する。2009年、那覇店開店に伴い異動。2011年7月に退職し、同年11月11日、那覇市第一牧志公設市場の向かいに「市場の古本屋ウララ」を開店する。2014年、第7回「(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」を受賞。著書に『那覇の市場で古本屋』『市場のことば、本の声』『増補 本屋になりたい』、最新著書『すこし広くなった』。