内間健友 | 書くのは…怖い
「文章を書くのは……怖いですね。たとえば、冷たいプールに飛び込む前に怖くてブルブルするじゃないですか、ああいう感じで。でも、怖いんですけど、何かを表現するときに僕には文章しかないから」
内間健友さん。書くのは好きですかと尋ねたら、時間をかけてためらうようにそう答えてくれた。気持ちにしっくりくる言い方を探したのだろう。真面目な人だと思う。
内間さんは2017年、記者として14年勤めた地元新聞社をやめた。その後は雑誌や書籍の執筆を行うフリーライターとして活動しつつ、2024年には初となる自著『14年勤めた会社をやめて〝働く〟〝生きる〟を聞いてきた。』を発行した。
「僕はライターとしては駆け出しなので、人に指南するほど技術はないと思っています」というが、新聞、雑誌、そして書籍とさまざまなかたちで文章にたずさわってきた内間さんに、文章に向き合うということについて聞いてみた。
「まず新聞ですが、新聞記者というのは、締め切りに間に合わせることが重視されます。文体もストレートでわかりやすく、そして客観的事実を書く。僕も記者時代は私的な主観のある文章を書いたことがなかったですね」という。
では、自著を含めてこれまで3冊かかわった書籍の場合はどうだろう。
「本の場合は、文章も、まわりくどく書いてみたり、効果的だと思えばくだけた言い方を入れたり。かなり自分寄りというか、書くという目的もありながら、自分の心とも向き合うという感じです。雑誌は……新聞と本の中間くらいですかね。でも本は、特別です」
新聞社をやめたのは、自分がどう生きたいのか分からなくなったからだ。中学生の頃までは作文で賞をもらったことはあるが、本人いわく「いい子ちゃんの文章」。いい子であることがコンプレックスで、劣等感が強い分、自信になるものが欲しかった。記者時代もライターになってもインタビュー記事をたくさん手がけてきており、文章を通して、生き方、働き方を見つけたいというテーマは一貫して持ってきた。
ライターとして、バスケ指導者・安里幸男氏の著作の執筆に関わるなど書籍の仕事も手がけるようになっていた。同時並行で、沖縄の地元雑誌で連載したインタビューをベースに自著を出すことになり、内間さんは初めて、これまでにないくらい長い文章を書くことになった。インタビューに答えてくれた13人の魅力を表現しなければというプレッシャーもあったが、書籍の編集担当者の「本というのは一生に一回出すか出さないかなので、自分が納得がいくまで書き切った方がいい」という言葉によって、徹底して原稿と向き合うことを決めた。
一度書いたあとも、インタビュー音声を再度聞き、取材メモを読み直して、文章をリライトしてはまた読み返す。「内容、書き方、構成、なんか引っかかるというところを直しながら待つんです。そのうち、引っかからなくなる瞬間、あ、出せると思う瞬間、なんとなく納得感がわき上がる瞬間がやってくる」
13人分の原稿すべて、感情にぴったりきて違和感がなくなるまで向き合い、取材が不十分だと思えば追加で県外に行ったりもした。ひとつの原稿を書くのに1カ月ほどかかったこともある。締め切りに追われる焦りもあったが、「この向き合うという行為がオリジナリティーにつながったと思っています」と力を込める。
2年を超える試行錯誤を経て、2024年、内間さんは初の自著を出版した。インタビュー本ながら自分の感情を赤裸々に綴った一冊を読まれる恥ずかしさもあったが、発行直後から反響は大きく、ある書店員はSNSで、「ドキュメンタリー小説」との表現によってその文章を高く評価した。
書店へのあいさつ回りにラジオ出演、刊行記念トークイベントの開催とめまぐるしい毎日の中で、内間さんは、これまでとは違った体験ができていること、人生が変化したことを実感した。たくさんの人へインタビューして徹底的に文章に向き合い、一冊の本として完成させたことが、それまで自信のなかった自分に大きな成長をもたらしていた。
それでも、一つの本がいきなり売れて、ライターだけで食べていけるというわけではない。「そうなることが理想ですが、書きたいことだけを書いて生きるのは、今の自分では至難の業。結婚もしましたが、最低限、自立した生活をしつつ書くことをやらないと、うわべだけの書き手になってしまう気もするんです。だから、働く形はどうであれ、自立しながらライターを続けることを模索しています」という。そのために現在は、やめた新聞社に戻って夜勤の仕事をし、昼間にライター活動をするという生活に切り替えた。
少し前までは、本を出すことは夢に近く、実現できないのではないかという不安も微かにあったが、今は、リアルに次の本を出すことを考えている。「一冊出したくらいで図に乗っていると思われるのは嫌ですけど、同世代を励ますようなノンフィクションも書き続けたいし、自分の個性が出るものを書きたい。あと、恥ずかしいんですが、フィクションにも挑戦したいと思って、いまは小説講座に通っています」という。
やっぱり文章、好きなんじゃないですかと尋ねると、「長年書くことを重ねてきて、特にこの3、4年は自分なりにですが、何かができた気がして……。書くことは、なくてはならないものです。でも、うまい人の文章を読むとイヤになりますけどね」といい、さらに言葉を続けた。
「人生は短いというのを最近は痛感しています。やらない方が後悔する。だから、人に笑われるくらいの大きな目標を立てることが大事だと思うんです。そんなふうに生きていけば、10年後、さらに楽しい人生が待っていると信じています」
そう言った瞬間、ずっと緊張気味だった表情がゆるみ、やわらかな笑い顔に変わった。
A、My Favourite(わたしのお気に入り)
お気に入りのアイテムは、ゆいまーる沖縄で購入したカップ。色や形などがしっくりきます。数年前のもので水垢などが付いていますが、あまり洗浄剤とか環境に負荷を与えるものが好きじゃないということもあり、そのまま使っています。
僕は人生をずいぶん遠回りしてきた後悔があるので、平均的な人よりも5年、欲を言えば10年は長く働きたいと願っています。なので、健康的な飲食店で、健康的な食べ物を食べるのが最高のひととき。よく利用するのは、デパートリウボウの「樂園CAFÉ」や、那覇新都心の「スープオン」、泉崎の「味噌めしや まるたま」、浮島通り周辺の「食堂faidama」など、無添加、無農薬、県産、国産に意識がある店を選ぶようにしています。小麦アレルギーでも食べられる糸満市の「Detox cafe felicidad」の米粉と大豆を使ったスコーンも好きです。また、実家のすぐそばにあり40年以上なじみのある「白バラ洋菓子店」のバームクーヘンは、これ以上に飽きがこないものには出会ったことがありません。
B、My Worktools(わたしの仕事道具)
メモを取るのが何年たっても得意でない僕にとって、ペンはものすごく重要です。いまや超人気のジェットストリームですが、新聞記者時代に社内でもっとも早く愛用するようになったのは僕だと思っています。そのほかVコーンの水性ペンも何本も買いだめしていて、外での取材はジェットストリーム、デスクがある場所ならVコーンと使い分けています。ニコンのカメラは買ったはいいけれどあまり出番がなく、レンズをカビさせたこともあります。そのほか、自分の感情を書きつづるために、裏紙をとじたクリップボードと、無印良品のノートを愛用、奥さんからもらった名前入りのペンケースも持ち歩いています。
C、My Backyard(わたしのバックヤード)
自分のルール?として、自分の車と同じナンバーの車を道路で見かけた時には、「イエス!!」と叫ぶようにしています(そうすれば幸運が訪れることになっている)。また、ルールではないんですが、我が家では誰かが鼻歌を歌うと、すぐにかぶせ横取りする「鼻歌泥棒」が流行っています。また、薬などはなるべく体に入れないのですが、風邪をひきそうになったら「葛根先生」と我が家では呼んでいる葛根湯だけはのむというルールができました。また水を飲むようになり、最近は水筒を常にカバンに入れています。いずれも奥さんのアドバイスです。会社員時代からは考えられないほど飲酒量が極端に減りました。
内間 健友(うちま・けんゆう)
1978年、那覇市出身。琉球大学法文学部人間科学科マスコミコース卒業後、2003年、琉球新報社に入社。主に社会部、政治部記者を務める。2017年に退社後は、フリーライターとして、沖縄の雑誌『モモト』などに関わる。2023年、『日本バスケの革命と言われた男』(安里幸男著)の文章を共同で担当する。2024年には初の自著『14年勤めた会社をやめて〝働く〟〝生きる〟を聞いてきた。』を刊行した。