琉球ガラスの歴史-1
琉球ガラスの起源
琉球ガラスには150年以上の歴史があり、その起源は明治時代中期(1868年~1912年頃)にさかのぼります。私たちが日常で手にする琉球ガラスの美しさは、実は「不便」から生まれたものでした。当時の沖縄では、ガラス製品のほとんどを本土から輸入していたのですが、海上輸送中に多くが破損してしまい、地元の人々は大変困っていたそうです。そんな背景から、現地でガラスを生産しようという試みが始まり、琉球ガラスの歴史が幕を開けたのです。
初期の琉球ガラス
長崎や大阪から招かれたガラス職人たちは、沖縄でガラス製品の製造を開始しましたが、その原料として使われたのが、一升瓶や醤油瓶などの廃ガラスでした。今で言う「アップサイクル」の先駆けともいえる取り組みです。廃棄されるはずだったガラスに新しい命を吹き込み、再び美しい形としてよみがえる姿には、現代のSDGs(持続可能な開発目標)にも通じる精神が感じられます。
初期の琉球ガラス製品は、ランプの火屋(ほや)や蝿取り瓶など、日常の実用品が中心でした。これらは、私たちの祖母や母の時代に、台所や家庭の中で使われていたのかもしれませんね。素朴で実用的なガラス製品が日常に寄り添っていた様子を想像すると、なんだか温かい気持ちになります。
戦争の影響と再生
琉球ガラスの歴史は、実は悲しい出来事を経て今に至ります。1944年沖縄戦での空襲により、那覇市街のガラス工房は壊滅的な被害を受けたのです。長い時間をかけて築き上げてきた技術や工房が、一夜にして失われてしまいました。その光景を思い浮かべると、胸が痛む思いです。
それでも、沖縄の人々はこの困難を乗り越え、琉球ガラスを復活させました。戦後、物資が不足していた時代、沖縄の工房では米軍基地から出るコーラ瓶やビール瓶を再利用してガラスを作り始めました。廃瓶を溶かし、新しいガラス製品を生み出すというこの再生の力は、まさに琉球ガラスの「真骨頂」とも言えるでしょう。
戦後の発展
戦後まもない1947年頃、那覇市与儀周辺でガラス製造が再開されました。物資が乏しい時代、捨てられた瓶を見て「これで何か作れないか」と考えた職人たちの創意工夫が、琉球ガラスの再生を支えました。驚くことに、この困難から生まれた琉球ガラスは、米軍関係者の日用品や土産物として人気を集め始めたのです。
アメリカ的な生活様式が沖縄に影響を与える中で、琉球ガラスの製品もまた独自の進化を遂げていきます。従来の沖縄の生活必需品に加え、アメリカ風のデザインが取り入れられた琉球ガラスは、ワイングラスや花瓶などの装飾的な製品も多く作られるようになりました。沖縄の伝統文化とアメリカ的な生活スタイルが交錯し、他の地域では見られない独自のガラス工芸として発展していったのです。